2020年8月29日土曜日

好きな香り



花縮紗 ハナシュクシャ

この香りは心を底から満たしてくれる。

呼継「垂水」H:35.5cm

‘Ginger lily’
This scent fills me from the bottom of my heart.

YOBITSUGI 'Waterfall'











2020年8月28日金曜日

自分自身から解き放たれる旅 7 <ベネチア〜シンガポール #4(南インド)>

ブログ「自分自身から解き放たれる旅」 について

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2015年10月〜11月
ベネチアからギリシャ、スエズ運河を抜けて
ヨルダン、インド、シンガポールまで海路で巡る4週間の旅。


オマーンからアラビア海を超えて、向かいの南インド、ゴアへ。
日本でも有名な宣教師 フランシスコ ザビエルが眠る町。

ボム・ジェズ教会







16世紀初頭から450年間、インド国内では珍しくポルトガル領だったゴア。
今もポルトガル風の建物が多く残る。





無原罪の聖母教会




ユル〜イイ感じの町の市場に立ち寄りました。


熱帯性気候ってイメージそのままな果物がたくさん !!! 豊かな自然を全部食べたいゾ〜。



ゴアは、私が大好きなカシューナッツの産地なのだ。


1日に30Kgのカシューナッツの皮を手で剥くという熟練工の女性。
加工場ではカシューナッツを傷つけないように、優しく素早く、ひたすら手作業。




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少し南下して、マンガロールへ。

この日はちょうど、ヒンドゥのお祭りで大賑わい。


どこへ行っても活気と熱気と人人人に溢れている。


寺院の中で学団の皆さん。

町中はトタン屋根のエリアも。


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インド南部の主要産業都市、コチ(コーチン)
探検家ヴァスコ・ダ・ガマが没した街。


クルーズ船のターミナル港 周辺では、
トゥクトゥクのドライバー達が、1日2ドルの客を取りあって、
取っ組み合いの喧嘩を始める。


話が決まって、トゥクトゥクの元締めのオジサンに連れられてドライバーさんの家へ。



ドライバーさんが「どこ行きたい?」って言うから、
先ずは彼の家に行って家族を紹介してもらった。


行きがかりで家族を紹介してもらい、ご挨拶してしてから出発。
彼が通ってた学校にも連れてってもらった。




洗濯場です。結構、社交場なのかな? それとも、クリーニング屋さん?

洗濯干場、やっぱり業者さんだね。 昔、日光消毒って言って外で干したよね

地元の人に混じって寺院にお参り。  
肩を出してイキがってるんじゃなくて、コレが正式なスタイル。


コッソリ紛れこんじゃった。




南インドのユルさは残って欲しいな、と旅人は思うけど。
住民の皆さんは便利でモノが沢山ある生活を望むんだろうか?




1980年代に私が住んでた当時の、中国の西安っぽい商店街。





香辛料を天日干し、太陽の香りをタップリ吸い込んで。



トラックが昭和残俠伝っぽい!!?? 昭和30年代ってことかな? 
ボリウッドには、高倉健さんは似合わなそう。




インダス文明から数千年、ポルトガルやイギリスの影響を残す大国は、
10億の民の希望を乗せてどこへ向かうのだろう。
次回は、ITで急速な発展を遂げているインド北部へも行ってみたい。








2020年8月26日水曜日

過ぎゆく夏を惜しんで

工房前の田圃では稲刈りが始まりました。
ゆく夏を楽しんでいます。


呼継盌「東雲」
皿「星合」

Rice harvesting has started in the rice field in front of my studio.
Enjoying the lingering summer heat.

Yobitsugi Tea Bowl "Shinonome"
Plate "Hoshiai"












2020年8月21日金曜日

自分自身から解き放たれる旅 6 <ベネチア〜シンガポール #3(オマーン)>

ブログ「自分自身から解き放たれる旅」 について

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2015年10月〜11月
ベネチアからギリシャ、スエズ運河を抜けてヨルダン、オマーン、インド、シンガポールまで海路で巡る4週間の旅。

オマーン

オマーンは紀元前3000年頃からメソポタミアに銅を輸出し、
紀元前後からは香辛料や乳香、象牙の海洋貿易拠点として栄えた歴史ある国。

数十年前までは貧しい砂漠の国だったオマーンを
1970年にクーデターで即位したカーブース国王がイギリスから独立。 
農業国家から産油国へと国内経済を転換して近代化、国際化し、
今のような豊かな国になったという。

でも私の中には、オマーンという国のイメージが全くなかった。

実際に首都 マスカットを訪れて感じたのは、とても勢いのある国。
モスクや遺跡は、とても綺麗に整備され、街のアチコチでインフラや建築工事中。


人、経済、文化、国、
結局は、人間の『創造力』が未来を作るんだ。


乳香市場の食堂


全く読めないアラビア語には参った!
そういえば、ハングルも読めなくて困ったな。
 



オマーン北部のバハラにあるジャブリン城は、砂漠の中の一軒家 !!
17世紀に宮殿として建てられ、その後は、教育施設としても使われていた。




屋上からは周りがよく見渡せる。
ナツメヤシ畑、砂糖漬けで食べるデーツの実がなる樹です。



建物内部は風の通り
もよく考慮されて装飾もエレガントで凝っている。
豊かな文化が栄えていたに違いない。

中庭への光の取込みもイイ感じ、ココに暫く住みたい。(でも、周辺には何もないゾ)


バハラ城砦へ向かう道端で羊肉と石焼羊を売る露店。
美味しそうな香りが漂ってるけど、、、食あたりしそう? 今はヤメておこう。



中世、海のシルクロードの中継地として栄えたオアシス都市を遊牧民やペルシャから守るためにオマーンには多くの城砦が築かれた。

12Kmの外壁に守られたバハラ城塞は、その中でも最大規模で世界遺産にも登録される。


とっても綺麗に修復されている。

盗賊との激しい攻防から人々の命や生活を守るための城塞は、長い時を経ても美しい。




陶器で有名なバハラの街をウロウロしたが、のんびりして安全そう。




地元の方が頭に巻いてるアレの巻き方を教えてくれた。
へー、こうして巻くんだね。
この後、自分でもやってみたら、、、、鏡に写ったメリハリのない顔にガッツリ凹む !!




砂漠のオアシス  サラーラへ  乳香の木が生息する地としても知られる。


マルニーフ洞窟よりイエメン方向を望む。
自然は人間の創意を遥かに超えたクリエイテビティーを見せてくれる。
岩の穴から海水が噴き上がる名所。

中東のリゾート地、避暑の別荘エリアとしても人気なんだとか、日本人にとっては暑かった。

 
サラーラ出身のカーブース国王が、今年 2020年に崩御された。







2020年8月14日金曜日

自分自身から解き放たれる旅 5 <ベネチア〜シンガポール #2(スエズ運河→ヨルダン ペトラ)>

ブログ「自分自身から解き放たれる旅」 について

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2015年10月〜11月
ベネチアからギリシャ、スエズ運河を抜けて
ヨルダン、インド、シンガポールまで海路で巡る4週間の旅。


スエズ運河~ヨルダン・ペトラ

ヨーロッパから海路でアジアに向かう際に、
アフリカ大陸の南端を回らず近道するために掘られたスエズ運河。

砂漠の中を水路が突き抜ける。



気が遠くなるような、人間の作業を想像してしまう。
ピラミッドや万里の長城のような膨大な数の人の手による仕事。


1869年に開通した運河は、仏英やイスラエル、米露までが参加して、
于裕曲折しながら、やっとのことでエジプトの国営になった経緯がある。



アジア、アフリカの支配から得られる収益に対するヨーロッパ諸国の執念って、
ずっと変わらないんだなぁ。



ラクダのキャラバン隊が砂漠を越えて運んでいたモノと人が
今はこの運河を、大型船で膨大な量が行き交う。




ヴェネチアからギリシャ、そしてエジプトという文明の地は、
距離的にとても近いのを体感する。


時代時代で、攻めに行ったり、攻め込まれたり、栄えたり衰退したり、
互い大きく影響を授受しながら文化や産業、生活スタイルを発展させたんだ。


極東の島国、日本は長い間、中国を通して外界からの影響を受け
その後の鎖国で、独特の文化を発酵させてきた。
そのおかげで、独特な文化を花開かせることができたに違いない。

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ペトラ(ヨルダン)

スエズ運河を越えてアカバ湾を北上し、陸路でペトラ遺跡へ。

紀元前からスパイス交易の拠点として栄えた砂漠の都市  ペトラに向かう。
暑い砂漠の中を遺跡までの道はココしかない。
途中、
壮大な生きているかのような形の岩の間を進む。


異なる砂が気の遠くなるような時間の中で積み重なった山。
大量の鉄砲水が鋭いナイフのように削り取った不思議なカタチ。


何度も何度も大量の水により削られた砂の山。


アメリカから来ていた人が「アンテロープキャニオンが巨大化したみたい。」
と叫ぶのを聞いて、行きたかったアンテロープへの興味が突然に萎む。


と、目の前に突然姿を表すエル ハズネ。



想像してたよりも断然デカイ!!!  高さ40m以上。
古代ギリシャの影響を受け、砂岩の山を人力で掘り抜いて作られた巨大な建造物 。


2000年前、これを掘らせた人は、各地から来る商人たちに
「ドヤ〜見てみろ、オレって凄いだろ !!!」と誇示したのだろうか!?
今で言うとドバイのブルジュ ハリファや上海の上海中心、東京都庁?って感じかな。
間違いなく立派な建造物ですが「オラオラ」が大袈裟すぎてチョット恥ずかしい?!

インディージョーンズの映画で有名になったんだよね。



その奥に、紀元前からキャラバン隊の中継地として栄えた大規模な街の遺跡がある。


栄華と夢の跡、過去に多くの人の暮らしがあった証し。
何度かの大地震や水害で放棄された街は、そのほとんどが未だに発掘されていない。



これだけの規模の街をつくるってことは相当に豊かだったんだろうな。
当時、住んでた人達はどこに行った?



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この後、紅海を南下してオマーンヘ向かう。


紅海を抜けたソマリ沖では、2010年頃をピークに海賊による襲撃が相次いでいた。
当時は、タンカーや貨物船が海賊に乗っ取られたので、
各国が軍隊を出しエリアの安全を守るための活動が行われ、
日本からも海上自衛隊が参加した。

その後は海賊発生件数は激減したが、今も多国籍部隊による警備活動は続けられている。


「すしざんまい」の社長海賊にマグロ漁を教えて漁船を与え、獲れたマグロを買い取った結果、海賊がマグロ漁師に転向したっていうのは、ビックリの実話。