「養翠園」は、紀州徳川家 第十代藩主 徳川治寶が作った大名庭園です。
実家から徒歩10分、久しぶりにやって来ました。
徳川吉宗が紀州徳川家の第五代藩主だったことから、「暴れん坊将軍」のロケが行なわたことでも知られています。
常緑樹の松は、永遠の命や不老長寿を意味しています。
松の造形が、豪快で、カッコイ~!のです。
「立華すかし」という仕立て方法だと庭師さんからお聞きしました。
「いいね~、この枝っぷり」と、植木好きの私は、いつも庭師になったつもりで木を眺めます。
海水を引き込んだ汐入の池は、潮の満ち干で景色が変わります。汐入の池は、将軍家の「浜離宮」と、この「養翠園」の2カ所だけ、大変珍しい造りです。
このあたりでは、敷石や石垣によく使われます。子供時代には当たり前過ぎて意識していませんでしたが、色といい石目といい、美しいですね。
橙色のお腹と、輝く青色の背中の強烈なコントラストが美しい。池を泳ぐ鴨や、跳ねるイナ(ボラの幼魚)を眺めていると、気持ちが安らぎます。
庭園設計者の意図が、200年の時を超えて伝わってきます。
六本木ヒルズの毛利庭園よりも贅沢な気持ちになります。
万葉の歌人、山部赤人が「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」と詠み、この地の美しさを世に伝えた景勝地です。
中学生の頃、「和歌浦で最も綺麗なのは、ここの奠供山(てんぐやま)からの眺めだ」ということを、発見した自分を誇らしげに思っていました。
しかし、1300年も前に山部赤人が歌に詠んでいたのを知り、真面目にショックを受けました(笑)。
もう一カ所、天満宮からみる和歌浦も格別です。
万葉の時代には、小野小町も訪れた玉津島神社。和歌の神様をお祀りしています。
日本初の屋外エレベーターが作られたのも此処です。(今は残っていません)
100年前に夏目漱石が乗り、小説 「行人」 に登場したことでも知られています。
江戸の二大庭園のひとつ、駒込の「六義園」は、ここ和歌浦の景色を元に設計されています。
六義園は12月4日(日)までライトアップされ、日中とはひと味違った美しさも楽しめます。
「紀州東照宮」
さすがに紀州徳川家、八尺の木から削り出した左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵が納められています。50年に一度修復されるそうです。
ここでも敷石は全て青石。雨に濡れると蒼い地面が幻想的に際立ちます。
歴史を感じさせる建物も残る「明光通り」。
「明光」の名は、聖武天皇がこの地を「明光浦(あかのうら)」と呼んだことに由来します。
久しぶりの和歌浦で、子供の頃当たり前だった景色の中に新鮮な美しさを発見しました。
アメリカに留学して、改めて日本の美が見えてきた時と同じようです。
歌人が和歌で美しさを今に残したように、私はガラスで日本の美を表現し、伝え、時を超えて残していきたいと思います。