2015年9月28日月曜日

日経新聞 破格の陶芸 十選 (5) 呼継 よびつぎ

呼継とは、陶器の欠損した部分を陶磁片で埋める技法である。

「余白を残して修復する。
すなわち、空気に本質がある。」
と、呼継の粋を語る 森孝一先生。

私は先達の美意識に思いに馳せる。
戦国の時代に侍たちが激しく刀を交え、生死をかけた戦の中で
心の平安を求めて愉しんだ茶の湯。
器にとってのヒビや欠損は、人間にたとえれば致命傷にもなる大きな傷。
侍は、そこに「生と死の美学」を見たのではないかと。

ヒビは即ち余白、それは虚無、自由、無限 ・・・  。

私がガラスの呼継で表したいのは「生命の煌き」。


日本経済新聞 2015年9月28日 複写




2015年9月21日月曜日

日経新聞 破格の陶芸


日本経済新聞 文化欄で
「 破格の陶芸 十選 」が今日から始まった。

著者の森孝一先生は、日本の陶芸を、造形や技法だけでなく、
思想という側面から評論される、やきものの真髄を捉えている美術評論家だ。

海外や異文化の中では、思想を伝えられないと、
工芸は、アートではなくインテリアの扱いになりかねないと、私も常に危惧している。

アートコレクターズ(生活の友社) 2015年6月号で対談させていただいた際にも、空間、余白の捉え方について貴重なアドバイスをいただいた。
  → アートコレクターズ2015年6月号より


今日の一回目は、
縄文土器を、北海道から南下した、感性、自然観、魂を表現するやきもの、と、
独自の切り口で表していらっしゃる。

短い文章の中で分かり易く、且つキーワードがたっぷり詰まっていてとても読み応えがある。

残りの九選が楽しみだ。


日本経済新聞 2015年9月21日 複写










2015年9月13日日曜日

独自の世界を創りだす

二人の 陶芸家の展覧会にうかがった。

鋭く切り取った面と引きちぎった土の跡が見せるハーモニー。
流れたり溜ったり、自由に動く釉薬。
思索し生きているような作品達。

東田茂正氏に、お話をうかがうことができた。
偶然の貫入や焼き色の変化をうまく誘うように手を掛けているが、手技で素材をコントロールしようとはしない。
独自にブレンドした土の味を引き出し、ありのままの土の表情を造形の一部として受け入れる、そのフトコロの深さが見事。

窯入れしたもののうち、出来栄えに納得し作品として人前の出すのは、わずか15%というストイックさに驚いた。
しかしながら、そんな厳しさを感じさせない柔らかいお人柄から「土を受け入れる」おおらかなエネルギーを強く感じた。

「織部長方皿」  展覧会図録より
東田茂正 陶展
銀座 和光ホール 9月13日まで
http://www.wako.co.jp/exhibitions/471


谷本景氏とは
13年前、名古屋で隣同士で個展をして以来の再会。

古くから茶陶では馴染みの深い伊賀焼。
一般に言われる「桃山の伊賀焼の再現」ではなく、
谷本景氏は、今の伊賀焼の美を生み出す。

作品を何度も窯に入れて、色が変わり天釉が 滴り焼き味が追加される。
村田珠光の「欠損の美」から、朽ちていく美しさというコンセプトを得たとおっしゃる。

ローカルこそグルーバルになるとチカラ強く語る姿が印象的だった。

独自の土、独自の窯から生まれた他にはない表現。
私には、『しぶとい伊賀焼』のイメージそのものに感じた。

古代から 谷本 景展
京橋 LIXIL ギャラリー
10月27日まで


今の自分にとても響く作品と作家さん。

「人前に出せるのは15%」と仰った東田氏、
「1年に1点、心から満足できる作品を生み出せれば幸せ」と谷本氏。
素材と向き合い、造り続け、自分だけが見つけられる美、表現を追い求める真摯な生き方がカタチになる。

人事を尽くし、火に任せ、そして受け入れる。
人間が技術で素材をコントロールする西洋のスタイルとは異なる思想がココにある。

手先の技術がいくら上手くなっても、作品の魅力にはならない。
ただキレイを追求するだけではない、表現者の魂がカタチになった作品こそが、
ヒトを魅了するのだ。

今日からまた、新しい気合でガラスと向き合えそうだ。