2019年5月 京都法然院参道に恒久設置させていただいたガラス枯山水「つながる」
この空間作りに込めた想いを描いたコンセプトムービーが、ドイツハンブルグで開催の「2020 The World Media Festivals」で金賞を受賞した。
https://youtu.be/_NREJPavags
https://youtu.be/_NREJPavags
この映像を作るにあたり、ディレクションをお願いしたのは
team TANIYON のディレクター 西岡眞博氏。
ガラス枯山水の作品コンセプトだけでなく、私の生き方まで深く本気で突っ込んできてくれた。
結果、目に見える作品の奥にあるストーリーを紡ぎ出す哲学的で心優しい映像に仕上げてくれた。
感謝‼︎
当時の西岡監督の苦悩が詰まったご本人のblogがコチラ。
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これは最初に受け取った西中さんからのメッセージ。作品の背景にあるストーリーは何なのか、それを探るために、大垣へ向かう車中でずっと西中さんの考えをお聞きした。
西中さんの話の中には、禅、宇宙、再生、循環、輪廻、という言葉が頻繁に出てくる。恐らく、この辺りにヒントがあるんだと思ったが、正直、最初は何を言ってるのかよくわからなかった。
日本耐酸壜工業の工場内は全体に薄暗く、巨大な機械が稼働するものすごい音で、耳元で大声を出さないと声は聞こえない。工場の中心部には25メートルプールほどの大きさの溶解炉があり、そこで廃棄ガラスをリサイクルしているそうだ。
溶解炉は(安全のためか)外から見えないところにあるのだが、そこかしこから高温に熱せられたガラスが発する強い光(1400度に熱せられたガラスは紫外線をだす)と湯気(煙?)が立ちのぼり、冬だというのに工場全体がなんとなく暖かい。
この日の目的は、西中さんの作品のために作った巨大な型にガラスを流し込む作業を撮影すること。
ざっと簡単に作業工程の説明を受け、撮影の準備をしていると、長さ約2メートルほどの直方体の箱が運ばれてきた。この中に型があり、その中に溶けたガラスを流し込むのだ。
箱と言っても、各辺を太い鉄のアングルで補強された、熱にも重量にも耐えられる強固な石棺のような箱。箱の蓋が開くと、すぐに作業は始まった。
1400度に熱せられドロドロに溶けたガラスはまるで溶岩のようで、強い光を発しながら型に流し込まれていく。溶けたガラスが細い線になってとゆを流れていく様子はとても美しく、吸い込まれるように見とれてしまう。
摂氏1400度という数字には全く現実味がなく、この溶けたガラスに触ったら熱いんだろうな、などと考えているうちに作業は終了し、すぐに蓋が閉められる。これからこの箱を熱してガラスを冷ますのだ。
熱して冷ますというのはおかしな表現だが、1400度もの高温のガラスは、常温で冷ますと割れてしまうらしい。だからすぐに蓋を閉め、高温に熱しながら温度を下げていくのだ。蓋を閉められた箱は、また数人の男たちによって運び出されていった。
薄暗い中を数人の男たちによって運び込まれ、溶岩のようなガラスを流し込まれて、また静かに運び出されていく石棺のような箱。一連の作業は現実のことだとは思えない、まるで儀式のようなものだった。地底世界で密かに執り行われる、再生の儀式。
日本耐酸壜工業を後に、ガラス瓶の再生工場へ移動。工場の入り口には大量の廃棄された瓶が色ごとに集められている。最初はこんなもの撮っても仕方ないと正直思ったが、仕方なく工場長の案内に従った。
工場内をベルトコンベアに乗って運ばれる廃棄瓶たち、まずはその砕かれた瓶から手で紙製のラベルを取る女性がいるコーナー、ここでまず少し驚いた。
こんな粉々の瓶のかけらからラベル紙を取り除くのか?と。どうせ高温で溶かすのだから紙なんか燃えてなくなるだろうと。でも、その紙のラベルを取る作業が、清拭に見えてきた。亡くなった人間の身体を綺麗に清める作業、清拭。
この辺りから自分の中で、何かが訴えてくるのを感じだす。宇宙、再生、循環、輪廻、そうか、この瓶たちはここで生まれ変わるのだ。
一度そういう具合に考え出すと、全てがそういう風に見えてくる。ラベルを取り除かれた瓶は、さらに細かく砕かれて硅砂に近づいていく。まさに再生。
一通り撮影して建屋の外に出ると、最初に見た大量の廃棄された瓶をシャベルローダーで掻き集める作業をしている。そのシャベルローダーの動きはとても高圧的で、化け物のようだ。人間の業がシャベルローダーに姿を変えた化け物。一方、掻き回される廃棄瓶の山は、なす術もなく翻弄されている。人間の業に弄ばれる大量の瓶、それは消費の象徴。
そんなことを感じながら瓶の山を見ていると、動きが波に見えてきた。そう、地球誕生以来絶え間なく寄せては返す海の波。まさに循環。
西中さんの言う禅の世界観、宇宙観というのは、まさにこのことなのではないか。絶え間なく循環し続ける波、雲、水、そして人の命。それらは全てが一瞬であり、なおかつ永遠。
その世界観を表現する方法として、ある人は宗教を用い、ある人は庭を作り、ある人は茶を点てる。そして西中さんはガラスを使う。
後日談。
ガラスを流し込む様子はスローモーションで撮影していたのだが、よく見ると溶けたガラスはまっすぐに流れず、螺旋状に流れているのだ。まるでDNA。とても驚き、因果を感じた後日談。
以上のような思考の過程で、僕の考えは一応の答えを出した。
法然院に設置された(一体になった)ガラスアート。絶え間なく繰り返し寄せる波のような廃棄瓶。その大量の瓶を弄ぶ業の化身のようなシャベルローダー。砕かれ、粉々になっていくに従って清められ、無垢なものに戻っていくガラス瓶。
溶岩のように溶けて発光するガラス。そして冷えて固まった巨大なガラスがアートへと姿を変えるさま。これらを説明的に長々と見せるのではなく、感覚的に繋いでいく。それはガラスの循環、ガラスの宇宙、西中さんの宇宙。
そこに、循環、再生の象徴であり、地球(宇宙)の営みとしての自然現象、寄せる波、流れる雲、湧き出す水、こぼれ落ちそうな星空、噴出す溶岩、二重螺旋、命、などを絡めていく。説明などしなくて良い、感じてもらえる映像作品を目指す。
それから、法然院をきちんと撮影したい。特に本堂、ご住職、お許しが出るなら御本尊も撮りたい、一つの宇宙観として。
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