人形浄瑠璃の公演を観せていただいた。
人形を使った舞台なので、ヒトが演じるものに比べ、当然、動きや表現は限られる。
だからこそ、観る者の感情が入り込める余地が、より大きくなる。
繊細な顔の動きや手の動きで、悲しみや憎しみ、喜びが、表情が変わらない筈の人形から溢れ出すように伝わってくる。
いろんな要素を削ぎ落とすことで、表現がより強くなってることに気がついた。
この人形浄瑠璃も、まさに、岡倉天心が説いた
「 True beauty could be discovered only by one who mentally complete the incomplete. 」
「不完全の美を自らの内で完全にできる者のみが真の美を見出せる」
という、日本の美意識で説明されるように思う。
幕間に、苅萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと) 守宮酒の段で、女之助を演じられた、人形遣いの吉田勘彌(かんや)さんに楽屋でお話を伺った。
「初めは人形が重い、が、チカラを入れなくても、数時間、人形を使えるようになる。だんだんと余計なチカラが必要なくなる。」
やはり、余計なチカラを削ぎ落とすのが、繊細な表現の奥義なんですね。
勘彌さん、有難うございます。